先人に想う① - W.ハーシェル

あの屋根から突き出してる巨大ドブソニアンみたいな望遠鏡、一度は本で見たことがあるんじゃないかと思います。子供の頃、ずいぶん憧れました。
 ウィリアム・ハーシェルFrederick William Herschel, 1738-1822)は天王星を発見した江戸時代の英国王室御用達の望遠鏡屋で、音楽の世界から数学に興味を持ち、兄妹で天体観測を行って功績を残したという相当奇特な先人です。
#当ブログでは時折、先人の業績にケチをつけるかような物言いすることもありますが、それは決して先人を軽んじているのではありません。正直、ものすごく尊敬しています。それが故に、先人・偉人が考え実践したことを妄信するのではなく、現代の知識や機材を以って真面目に考えるのも一つの礼儀ではないかと思っています。(時代と機材の進歩は、私のような凡才に与えられたハンディキャップです。)

ハーシェルの大望遠鏡
(天文アマチュアのための望遠鏡光学,吉田正太郎,1978 より)
■ 時代感
 ハーシェルが望遠鏡づくりを始めたのは1773年、彼が35歳の頃のことです。ホイヘンスが没したのが1695年ですから、ハイゲンス式接眼鏡の発明や空気望遠鏡も既に歴史上のお話になっていたころと思います。また、人類史上の超天才ニュートンはそれよりいくばくか後輩の人で1727年没でありましたから、ハーシェルが産まれた1738年はそれより後ということです。ニュートンの著書「プリンキピア」よりも50年後ですから、感覚的には我々が湯川秀樹やアインシュタインを見るのに近い感覚でニュートンの業績を見ていただろうと思います。
 また、同世代の人物としては、アイピースの発明があったラムスデンが3歳違いと年齢も近く、同じイギリス人でしたから交流もあったろうと思われます。ラムスデン式アイピースが1783年ですから、ハーシェルが本格的に大望遠鏡づくりにのめりこんでいった時代ということになります。
 ちなみに、この頃の江戸では、ハーシェルより7つ年下の伊能忠敬が天文家として子午線一度相当の距離割り出しに奔走したり、暦の改定を検討したりしていた時代です。また、幕府天文方の高橋至時がケプラーの天体運動理論や、屈折に関する理論が記されたラランデ暦書を解読したりしていた時代でもありす。また、ハーシェルの10歳上には平賀源内がいたような時代でもありました。
 残念なことに、もちろん彼らが交流を持てるような時代ではありませんでした。

■ あの巨大な望遠鏡
 さて、あの巨大望遠鏡ですが、三機あって、ひとつは40フィート(12.2m)、残り二つは20フィート(6.1m)のものでした。この時代は空気望遠鏡時代の名残なのか、望遠鏡の大きさを焦点距離の長さで言うのが一般的だったようです。
 40フィートのものが口径120cmでF10、20フィートのうち大きい方が口径47.5cmでF12.8、小さい方が口径30cmでF20.3だったとのことです。また、ハーシェルが天王星を発見したのは、口径16cm/F13 のニュートン反射だったとのことです。
 ハーシェルが主に使ったのは、小さい20フィートの方だったと伝えられています。
 理由は、40フィート望遠鏡の取り扱いが難儀だったから、というものです。
 この望遠鏡、どちらも一人で操作できるシロモノではなく、操作員がハーシェルの号令によって動かすというものです。想像してみると、真っ暗な中で夜通しこの高倍率望遠鏡での星の導入やら追尾やらをやらされて、望遠鏡を覗くこともないのですから、たまらんかったろうと思います。20フィート望遠鏡は9時間の連続観測に耐えたと伝えられますが、耐えていたのはこの操作員たちだったなあと思います。個人的には、この黒子だった操作員たちがハーシェルに付き合った功績にも、賞賛を贈りたいと思います。

■ 単レンズアイピース・高倍率狂
 ハーシェルが接眼鏡として水晶玉を使ったのは有名な話です。それも、0.8mmとかいうクレイジーな高倍率レンズを使ったようです。焦点距離6メートルとか12メートルでこの短焦点レンズですから、倍率が7,500倍とか15,000倍とかです。ここまで来ると、瞳径も小さくなり過ぎて我々の知る世界とは違う何かが見えていたのかもしれません。
 天王星を発見した16cmの望遠鏡でも、倍率は227倍~2,100倍を使ったといいますから、倍率自慢の粗悪望遠鏡も真っ青の高倍率狂ではあったようです。
 また、ハーシェルの40フィート望遠鏡は、「ハーシェル焦点」と呼ばれる斜鏡がないタイプの光学系で、鏡一枚、レンズ一枚という究極のシンプル光学系の利点に注目していたようです。

 さて、このハーシェルが使った水晶玉は、研磨ではない方法で作られたようです。すなわち、溶解させて空中を落下させ、表面張力で球体になったものを急冷して完全無欠な球体にしたということのようです。
 この手の急冷法で作られたものは、表面には原子レベルで欠陥がなくなり、全体に圧縮力が作用するため、極めて高い強度が得られることが知られています。例えばガラス玉であっても、銃で撃っても全く傷つかず弾丸だけが破壊されるというレベルの強度になります。
 冷却過程の状況によっては球面が完全だったかどうかは微妙なところがありますが、工夫を重ねればかなりのものが出来るようには思います。面の平滑度については研磨では絶対に得られないレベルに到達していたはずで、これがどんな像を結ぶのかは興味が湧くところです。ささやかな老後の楽しみにでもとっておきたいと思います。

■ 干渉観測の祖
 さて、なぜ私がここでW.ハーシェルを「先人」として最初に取り上げたか、と申しますと、それは彼の発見にちなんだアイテムを検討中であるからであります。
 一般に、口径を絞ると像が良くなることが知られていますが、ガリレオの時代にはそれはガラスの欠陥を隠すのが目的でした。
 ハーシェルは、鏡の一部を覆い隠すことで像が良くなることを発見していて、「干渉観測の祖」と言われることもあるようです。

 我々も、絞りとかアポダイジングマスクとかいろいろ知らないわけではないのですが、文明の利器FFTを使って検討を始めました。その悔過、タダの絞りでは口径が小さくなるだけのところが、工夫するともとの高分解能が得られてきたり、コントラストに変化があるということが見えてきました。
 ハーシェルの音楽理論にもCDでも買って思いを馳せつつ、うまい方法はないものかと思案してみようかと思います。その威力を確認するのは次の火星接近の頃かもしれませんが、、、。(そういや、ガリレオの父やホイヘンスも音楽家でした。なんか天文と音楽って関係あるの…かも??)

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