なぜガリレオが姓ではなく名で呼ばれるか…は知りませんが、ちょっとした謎ではあります。ニュートンをアイザックとは呼びませんし、ケプラーをヨハネスとも呼ばないのに、なぜかガリレオは姓ガリレイでなく名で「ガリレオ」と呼ばれていますね。。
そんなことを考え出したら、月曜日がマンデー、日曜日がサンデー、土曜日がサタデーと来て、どうして木曜日がジュピデーじゃないのか…と、人類が解くべき課題は山積しているようです。
ちなみに、曜日の順番は天動説における太陽・月・惑星の運行から決定されています。天動説はそれはそれでよく出来た理論で、暦を定め、惑星の順行・逆行を説明でき、日食や月食をも計算できたのです。
しかし、天動説の支持派はいろいろ説明しにくい事実を「理屈に合わない事実の方が間違っている」とか言いだしてしまったあたりに後の評価を下げた遠因があるような気がしています。
まあ、それは余談として、そのガリレオの様々な偉業には頭が下がります。頑固なイメージもあるガリレオですが、個人的には「イタリア人らしい感性(?)とイタリア人らしくない(失礼!)地道さ」の融合が大好きです。
■ 望遠鏡の発明について
望遠鏡そのものは、誰の発明かは分かっていないようです。リッペレイという眼鏡屋がオランダのハーグで特許を申請したということのようですが、「既に公知である」として却下されています。つまり、望遠鏡というのは既にオランダで別の誰かによって発明されていたもののようです。
ハーグには今なお欧州特許庁があって、私も業務で出掛けたことがあります。オランダに科学があるというイメージはあまりなかったのですが、かの地には今なお世界の知が集結し続けていて、「知恵の扱いを大事にする姿勢」を感じることが出来ます。日本がオランダとの貿易を通じて西洋科学に触れ合えたのは、じつに幸いなことでした。
さて、ガリレオはイタリア人ですから、望遠鏡が発明されたオランダとは相当な距離があります。それでも、この発明が未だ無名だったガリレオの耳に入ったということは、望遠鏡というもの自体に話題性があったんだなあと想像できます。
■ ひらめきと実験の人
ガリレオが天文屋として何が凄いかというと、それは「望遠鏡を天体に向けて観察しまくった」ということでした。別に望遠鏡を発明したわけではないのですが、天体観察に供せられるだけの精度を持ったレンズを何百枚も磨いて選別した、という地道な作業を厭わない姿勢が、数々の発見を産んだと思うと感慨深いものがあります。
ガリレオの天文学上の発見は木星のガリレオ衛星が有名ですが、ほかにも月のクレーターや、太陽黒点が太陽と共に自転していることや、金星の満ち欠けや、天の川が星の集まりだということを発見しています。
また、天文学以外の発見にも卓抜したものがあります。「重いものも軽いものも落下にかかる時間が同じだ」ということを実験で示したのは有名ですし、「振り子は振れ幅に関係なく同じ時間で往復する」といったことも発見しています。
地動説もそうですが、どれも「普通の人が思っている信仰が実はウソかも」という疑いを抱いて、それを実験的に証明していくというスタイルはなかなか痛快です。
しかし、これらの発見は、望遠鏡の製作や地動説への支持を含めて、論理が微妙につながっていないのに正解を示しているのがまた凄いところです。そう、ガリレオは理論をサッパリ残していないのです。この辺は、同時期のケプラーや後のニュートンとはまったくタイプが違う点です。
ガリレオの観察力に支えられた着眼点や直感力といった「ひらめき」は素晴らしく、物理現象の真実を見事に射抜いています。この辺りのセンスは実にイタリア人だなあ、と感心するところです。
そしてこれらについて、理論や数式を演繹的にひねり出そうとするのではなく、観察による事実から結論を帰納的に導いている点が注目です。当時の教義や信仰は置いといて、「だって、実際にこうじゃん」ということを実験で示していったところに凄みがあり、多くの人に影響を与えたのだと思うのです。この辺りの地道さは、イタリア人に対するイメージ(偏見ですけど)とはちょっと違うようです。
■ ガリレオの発明、オランダへ
ガリレオは、理論は残しませんでしたが、発明は残しています。温度計もそうですし、振り子時計もそうです。振り子時計の方は晩年の発明で、この発明が実際に製作されたのは、ガリレオの手によってではなく、オランダのホイヘンスによって初めて製作されました。
ホイヘンスは「ハイゲンス式アイピース」を発明した人で、ガリレオが散々観察して見破れなかった土星の環を「環」として見切った最初の人です。
ホイヘンスは光の波動説を唱えて光学理論の開祖となった理論派でもありましたが、レンズの研磨手法や空気望遠鏡を兄弟で開発した実験派でもありました。
それにしても、オランダで発明された望遠鏡がイタリアのガリレオに渡り、ガリレオの発明が再びオランダに渡って製作されたというのは、何か感慨深いものがあります。
ガリレオ自身は理論を残したわけではありませんが、さまざまな観察や工夫は国境を越えて伝播したんだなあ、と。
そんなことを考え出したら、月曜日がマンデー、日曜日がサンデー、土曜日がサタデーと来て、どうして木曜日がジュピデーじゃないのか…と、人類が解くべき課題は山積しているようです。
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642) 室町幕府が終焉を迎えた戦国期~江戸初期の人ですが もちろんイタリア人の彼にその戦乱は及びませんでした ※出典: 吉田正太郎著, 「望遠鏡発達史[上]」 より |
しかし、天動説の支持派はいろいろ説明しにくい事実を「理屈に合わない事実の方が間違っている」とか言いだしてしまったあたりに後の評価を下げた遠因があるような気がしています。
まあ、それは余談として、そのガリレオの様々な偉業には頭が下がります。頑固なイメージもあるガリレオですが、個人的には「イタリア人らしい感性(?)とイタリア人らしくない(失礼!)地道さ」の融合が大好きです。
■ 望遠鏡の発明について
望遠鏡そのものは、誰の発明かは分かっていないようです。リッペレイという眼鏡屋がオランダのハーグで特許を申請したということのようですが、「既に公知である」として却下されています。つまり、望遠鏡というのは既にオランダで別の誰かによって発明されていたもののようです。
ハーグには今なお欧州特許庁があって、私も業務で出掛けたことがあります。オランダに科学があるというイメージはあまりなかったのですが、かの地には今なお世界の知が集結し続けていて、「知恵の扱いを大事にする姿勢」を感じることが出来ます。日本がオランダとの貿易を通じて西洋科学に触れ合えたのは、じつに幸いなことでした。
さて、ガリレオはイタリア人ですから、望遠鏡が発明されたオランダとは相当な距離があります。それでも、この発明が未だ無名だったガリレオの耳に入ったということは、望遠鏡というもの自体に話題性があったんだなあと想像できます。
■ ひらめきと実験の人
ガリレイによる太陽黒点スケッチ (晩年のガリレイは失明しています) ※出典: 坂本嘉親著, 「僕らの天体観測」より |
ガリレオの天文学上の発見は木星のガリレオ衛星が有名ですが、ほかにも月のクレーターや、太陽黒点が太陽と共に自転していることや、金星の満ち欠けや、天の川が星の集まりだということを発見しています。
また、天文学以外の発見にも卓抜したものがあります。「重いものも軽いものも落下にかかる時間が同じだ」ということを実験で示したのは有名ですし、「振り子は振れ幅に関係なく同じ時間で往復する」といったことも発見しています。
地動説もそうですが、どれも「普通の人が思っている信仰が実はウソかも」という疑いを抱いて、それを実験的に証明していくというスタイルはなかなか痛快です。
しかし、これらの発見は、望遠鏡の製作や地動説への支持を含めて、論理が微妙につながっていないのに正解を示しているのがまた凄いところです。そう、ガリレオは理論をサッパリ残していないのです。この辺は、同時期のケプラーや後のニュートンとはまったくタイプが違う点です。
ガリレオの観察力に支えられた着眼点や直感力といった「ひらめき」は素晴らしく、物理現象の真実を見事に射抜いています。この辺りのセンスは実にイタリア人だなあ、と感心するところです。
そしてこれらについて、理論や数式を演繹的にひねり出そうとするのではなく、観察による事実から結論を帰納的に導いている点が注目です。当時の教義や信仰は置いといて、「だって、実際にこうじゃん」ということを実験で示していったところに凄みがあり、多くの人に影響を与えたのだと思うのです。この辺りの地道さは、イタリア人に対するイメージ(偏見ですけど)とはちょっと違うようです。
■ ガリレオの発明、オランダへ
ガリレオは、理論は残しませんでしたが、発明は残しています。温度計もそうですし、振り子時計もそうです。振り子時計の方は晩年の発明で、この発明が実際に製作されたのは、ガリレオの手によってではなく、オランダのホイヘンスによって初めて製作されました。
ホイヘンスは「ハイゲンス式アイピース」を発明した人で、ガリレオが散々観察して見破れなかった土星の環を「環」として見切った最初の人です。
ホイヘンスは光の波動説を唱えて光学理論の開祖となった理論派でもありましたが、レンズの研磨手法や空気望遠鏡を兄弟で開発した実験派でもありました。
それにしても、オランダで発明された望遠鏡がイタリアのガリレオに渡り、ガリレオの発明が再びオランダに渡って製作されたというのは、何か感慨深いものがあります。
ガリレオ自身は理論を残したわけではありませんが、さまざまな観察や工夫は国境を越えて伝播したんだなあ、と。
コメント
ガリレオのファーストネーム問題は、おそらく日本語(人)の姓名にはアクセントを
付けないところから来たものだと思います。日本語の耳ではガリレオとガリレイでは
区別がつきにくかったのでしょぉ!ま、呼称はスキ好きでエェかと思いますが、
着眼点がLambdaさんらしくて好きで、ガス!(笑)
「普通の人が思っている信仰が実はウソかも」!?ははっははっはははっは!!
Lambdaさんのことやないですかぁ!それも命がけですからねぇ!?テヘッ!
「ガリレオは理論をサッパリ残していない」・・・!?・・・あ!ホンマやッ!
数学不如意な私としては、偉人伝ナポレオンを抜いてNo.2になりましたっ!(笑)
いやぁ!私は偉人伝の何を理解していたのでしょぉ!?はっはははっははは!!
地道な観測無くして木星に太陽系モデルを見ることはなかったでしょぉにね!
ただぁ、イタリア人に対するイメージ!?Lambdaさん!偏見で間違いなしッ!
ははっはははっはははははっははは!!
あれだけ地中海に迫り出してたら多少の陽気さは免罪してあげてッ!(笑)
にしても牢獄をチラつかされても変節しなかったのは超一流の人物ではありますね!?
私なんざぁ、疑いを持たれた時点で、変節の嵐で、ガス!はっはははは!!
「はい、おっしゃる通りで、ガス!ガイドが流れるのは天が動いてるからです!」
はっはははっはははははっははは!!
いやぁ!毎度読み応えのある記事ッ!ありがとぉございますぅ!
とろでガリレオ式の望遠鏡は、実は意外と視野が広い、ということを
だれかのブログで読んだ記憶があります。
パッとまっすぐ見ると狭いけど、斜めを覗き込むように
すると周辺視野が見えてくるそうです。
それだから正立像という実用性もあって、ガリレオはガリレオ式を
作って売って、(実際良く売れて)研究費に当てたらしい、とか。
今度、レンズがとれる安バロー2倍が手に入ったら、アイピースに
転用して実験してみます。安いとはいえアメリカンサイズのやつ
なので2枚玉だと思うので、像もきれいかもしれません。
地上用ちょい見の単眼鏡・・・正立レンズ無しのシンプル光学系な
ので期待できそうです。あ、直視正立ファインダーにできるかも。
ナポレオンもガリレオと並んで、どういうわけかファーストネームの双璧ですね。
どちらも、英語圏でもファーストネームで呼ぶ習わしのようで、ビッグネームは一味違うようです(地中海性の呼び方なのかも??)
そしてイタリア人。私のトラウマ体験に基づく偏見100%です。
彼らの製品とか論文とかはどこかヌけてて駄目なのが多くて侮りがちなのですが、こと発明とかアイデアのセンスには幾度となく敗北感を味わされているんです。
彼らのこだわりはピザの食い方とナンパの秘伝だけじゃないということのようで、ガリレオ時代から脈々と受け継いだ何かがあるのかもしれません。
科学者にとって大切な姿勢は、変節の鋭さだと思ってます。
間違ってると気付いたら改める。
「君子豹変す」って具合で。
もちろん私も、牢屋には行きたくないですが、ガイドエラーは天のせいにしたいです。
でも先日気付いて悔い改めたんです!
自分が望遠鏡を設置してるコンクリートブロックに乗るとエラーになると!
やっぱり動いていたのは地面でした。
※偉人伝No.1が気になりますっ!
ガリレオ式の単眼鏡を所有しておりますが、絞り環のない独特の見え方をします。
そして、ファインダーとしてガッツリ働いてもらってます。
(https://m-lambda.blogspot.com/2019/04/blog-post_20.html)
ガリレオ式では、視野を広くするには対物レンズの径の大きさが必要で、
「倍率を上げると視野が急速に狭くなる」
というのが定説です。
理屈はよく分かるのですが、実際の見え方はどうだったのかな~、と、けっこう気になっていたりします。単眼鏡の視野は広いですからね。
そういうわけで、バローでの実験、面白そうです!
これまで、だれもガリレオ式の接眼鏡についてまともに研究してこなかった分野でもありますから、禁断の色消しバロー2段重ねでプレスルのような絵が得られたりして!?
偉人伝No.1は「奇跡の人」ですが、ヘレン・ケラーではなく、アン・サリヴァン!
後年、奇跡の人の原題「The Miracle Worker」を知り、良い子時代にアン・サリバン
により強く感動していたことにホッとした記憶があります!
まさに "The" miracle worker その人でありましたか。納得のNo.1です。
私も、献身的な姿勢には感動しました!