先人に想う⑦ - ジョン・L・ドブソン

ドブソニアン望遠鏡の父、ジョン・ロウリー・ドブソン(John Lowry Dobson; 1915-2014)は北京生まれのヒンズー教僧侶で、52歳のときに僧侶から転身して希代の自作派天文家となりました。

John Lowry Dobson
Photo: Wikipedia,
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彼は、ストリートで多くの人々に星を見る機会を与える「歩道天文家 (Sidewalk Astronomer)」の伝道師として活躍するとともに、ご自身の工房に自作とおぼしき鏡面メッキの真空蒸着装置を備えるほどの筋金入りの望遠鏡自作派でした。

 その超自作派が1965年に発明した「ドブソニアン望遠鏡」は、経緯台式の大口径ニュートン反射望遠鏡で、今となっては天文界で知らぬ者のないというほどに世界中の多くの天文家に愛されています。

 このドブソニアンに込められた思想は、私の志向する「エコノミー・ゆるーい天文趣味」にも通じる世界観で、純粋に星を眺める楽しみを合理的に追及した姿には共感を覚えざるを得ません。

■ ジョン・ドブソンの生い立ち
 ドブソンは中国北京の出身で、父は動物学教師のロバート・ドブソン、母はミュージシャンのメイベル・ローリーでした。彼の母方の祖父 ハイラム・ローリー (中国名:劉海瀾は燕京大学の前身である文(Huiwen)大学の学長を務めた神学博士の米国人で、教会から派遣されて中国に移住したようです(*1)。
 Wikipediaの記述やそれを参照したと思われる各種記事では、「ドブソンの祖父は北京大学の創設者」と書かれていますが、これは誤りです(**)。北京大学の創設者は大清帝国第九代皇帝 愛新覚羅載湉なので、Wikiの記述が正しければジョン・ドブソンは清国皇帝の孫ということになってしまい、辻褄が合いません (笑)。 (**Wikiの記述は修正しました)
 ドブソンの生い立ちが詳しく記された文書には、"Yanching(燕京)大学は後に北京大学として知られる"などと書かれていますが、これは完全な誤認で、北京大学と燕京大学は関係ありません。ドブソンの祖父が創立したのは文大学内の教会で、これは後の燕京大学の主要部分になったようです(ちなみに、燕京大学の創設者は、「最も中国人から尊敬された米国人」とまで言われた神学者でジョン・レイトン・スチュアートという人)。
 おそらく、「文大学の学長」「教会創設者」と何かの誤植か誰かの勘違いが混ざり、「ドブソンの祖父は北京大学の創設者(皇帝だけど)」となってしまったのでしょう。

 さて、ドブソンが生まれた1915年というと、ちょうどラストエンペラー愛新覚羅溥儀が退位して大清帝国が滅亡した3年後、第一次大戦が始まって1年という時期で、北京でも「北京政変」なるクーデター劇が繰り広げられて特に不安定だった時代です。

 12歳の時に両親とともにサンフランシスコに移住したドブソンは、科学に興味を抱いてカリフォルニア大学バークレイ校で修士号を取得し、ノーベル賞学者でマンハッタン計画に参加していたアーネスト・ローレンスの研究室で働いていたようです。

■ 修道院でのドブソンと望遠鏡
彼は10代の頃は無神論者であったようですが、あるときヒンズー教のヴェダンタ学派の師が開いた講演で感銘を受け、ヒンズー教のサンフランシスコにある修道院に入り、僧侶となったのでした(*2)。

 それまでのドブソンは宇宙には興味を抱いていたものの、小さな屈折望遠鏡しか持っていませんでした。修道院の中での彼の役割は「ヴェダンタの教えと天文学とを調和させること」であったようで、そのために修道院の中で望遠鏡を作ることを始めたようです(*2)。
 最初に作った望遠鏡は5cm(2インチ)の屈折望遠鏡で、ジャンクストアで買ったレンズと双眼鏡のアイピースを使って、土星の環を見たようです(*3)。
 しかしもともとドブソンは自作派ではなかったようで、修道院の同僚に「自分で鏡を磨くことが出来る」と言われても最初は信じず、その同僚の導きで鏡磨きを始めたのでした(*4)。

 最初に鏡研磨から作った望遠鏡は12インチの反射望遠鏡で、その後の彼は望遠鏡づくりと、修道院周辺の人々に天体を楽しんでもらう活動にのめり込んでいきます。彼は修道院から望遠鏡作りをやめるように命じられそれに従いましたが、些細なアクシデントによって非難を受け、23年間を過ごした修道院を去るように命ぜられてしまうのでした(真の理由は、ドブソンの書いた論文がヴェダンタと科学の調和に関する教えに反するからではなかったか、とドブソンは語ったようです)。1967年、52歳の時のことでした。

 修道院を去ったドブソンは、天文サークルを協力者らとともに立ち上げ、安く誰でも作れる望遠鏡の製作と、多くの人々に星見を楽しんでもらう活動に身を投じたのでした。

■ 歩道天文学 (Sidewalk Astronomy)
 ストリートに望遠鏡を出して道行く人々に星を見せる、というシンプルな「サイドウォーク天文学」は古くから活動があったようですが、ドブソンはサンフランシスコで天文サークル"San Francisco Sidewalk Astronomers"を立ち上げました。
 きっかけは、10.5インチの望遠鏡製作を指導しながら一緒に作った少年だったようです。サンフランシスコにあった天文クラブには年齢制限があってその少年は入れなかったらしく、新たなサークルを立ち上げたといういきさつです。
 このサークルは完全にボランティア活動からなる同好会でしたが、望遠鏡製作教室や各種の天体観望会を主催していました。現在は、"The Sidewalk Astronomers"として活動しているようです。
Sidewalk Astronomers の活動で持ち出された24インチドブ
credit: 1978, Denis diCicco氏撮影 (original article), 使用許可取得済
 
 この活動の中で製作方法を披露したものが、のちに「ドブソニアン」と呼ばれるようになった望遠鏡です。ドブソニアンの設計自体は1965年とされていますから、彼が僧侶をやめる2、3年前の発明だったようです。

 映画 "A Sidewalk Astronomer" は、ドブソンの活動にスポットライトを当てたドキュメンタリーですが、その一部がYoutubeで公開されており、ドブソンの活動を垣間見ることができます。
 その中で、問題意識について「科学に関する殆どのものは教育プログラムの中で実際に見ることができるが、望遠鏡で覗くものは含まれていない」と、述べられています。

 この問題意識に基づいて、ストリートで月を見せられた女性が「ゴージャス!」と歓声を上げている表情を見ると、こうした街角での「歩道」天文活動が人々の好奇心を刺激するものだということを再確認させられるのでした。

■ ドブソニアン望遠鏡と自作魂
 ここで改めて語るまでもないことですが、現在では、安価な材料を使用して軽量で持ち運び可能にした大口径ニュートン経緯台を総称してドブソニアンと呼んでいます。

バースデーケーキは研磨ピッチ盤風!
90歳の誕生日, 
credit: Denis diCicco氏撮影 (original article)
使用許可取得済

 
 1965年の発明当初のポイントは、「薄いミラー」「四角いミラーボックス」「重心をとってテフロンで滑りを良くした架台」そして「各種の安い材料(紙筒や合板、舶用窓ガラスなど)」ということでしたが、 この21世紀にあってはさまざまなタイプのドブソニアンが出現しています。

 "大口径を自作可能で、合理的な設計"ということがドブソニアンの神髄ではなかろうかと思います。

 ドブソン氏自身は当然ながら強烈な望遠鏡自作派のご様子で、鏡の研磨から望遠鏡の組み上げまでの動画が公開されています。3分クッキングみたいなライトな解説で鏡面研磨のレクチャーから始まりますが、ピザ生地でも作るような軽やかな手つきで粗摺りを始めるあたり、もの凄い技能を体得しておられることが伝わってきます。
 女性が40cmくらいの鏡の粗摺りをしているシーンでは、「どのくらい削りましたか?」というドブソンの問いかけに女性が「9時間半くらいです」とサクッと会話していますが、氏のレクチャーがなければ常人にはゴールも状況も見えず、挫折していることと思います。
 また、ドでかいミラーに、オーブンでケーキでも焼くかのごとくメッキを施す姿は、「大変じゃないから楽しい瞬間」というライトな解説とは裏腹になかなかのインパクトです。私の自宅にも自作の真空蒸着装置などは常備しておらず、このレベルの自作派に到達するには相当な修行が要るところです。
 このほかにも、厚めの紙製ボイド管に綺麗に接眼部の穴をあけたり、重心を丁寧に割り出したりと、なかなか見どころたっぷりな動画には見入ってしまいます。

 さて、ドブソン氏自身はこの望遠鏡についてのインタビュー(*4)で、「なぜ今までこのような望遠鏡が出てこなかったのでしょうか」という問いに、「彼らは写真を撮るのに忙しかったから」「ボクは写真が欲しかったら天文台から買う」と答えています。

 この強烈な自作魂と眼視で"見せる"ことへのこだわりが、写真撮影の楽しみとも違う方向性を今から55年も前に示し、伝道師として世に伝えてくれたのだなあ、と思うわけです。熱いものを感じないわけにはいきません。
 彼の訃報(2014年1月)を報じる記事でも、"Astronomy popularizer(普及者)" や "Astronomy evangelist (伝道師)" と伝えられ、Sidewalk Astronomyを体現したドブソニアン望遠鏡に込められた魂は今なお星を見る者に息づいています。

 ドブソンは、宗教と科学の両面から様々な考察を経て、手記 "Watchers of the skies" の最後にこう記すのです。
「この惑星に住む人々が私たちの住む宇宙を見て理解するために」と。(*5)

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コメント

匿名 さんのコメント…
この記事をありがとう。手記の最後の文章ジーンと来てしまいました。
Lambda さんの投稿…
コメントありがとうございます!
私も、ドブソン氏が遺してくれたメッセージや活動には感銘を受けつつ、記事をしたためたのでした。
私はドブソニアン使いではないのですが、ドブソン氏に感謝しております。
シベット さんの投稿…
故ジョン・ドブソン氏による安価な大口径望遠鏡の提案は大きな衝撃でした。自分はドブソニアン望遠鏡に出会ってなかったら、現在星をやっていなかったと思います。
自分のブログでも数年前にドブソン氏への思いを記事にしていました。
http://uwakinabokura.livedoor.blog/archives/1825642.html
当時計画していた45㎝ドブソニアンの着工が遅々としているのが故人に申し訳なく・・・・
M87JET さんのコメント…
(*^^)v
インパクト受けてます。
まだ消化できていません。
リンクされたいろんな音声や動画や文書を行ったり来たりしています。
自分は自分なりに、馬鹿なりに、ささやかな我が道を何とかして来たし、これからも往くのだろうな。
記事ありがとうございます。

Lambda さんの投稿…
シベットさん、いつもありがとうございます!
そしてなんと、この動画をすでに記事にしておられたとは!

このドブソニアン望遠鏡、本当によく考えられているというか、おそらく修道院生活の中での集大成だったのでしょうね。
これが出来てしまったがために、修道院を飛び出すことになったのかもしれず、それは運命なのかもしれません。
本当にこの発明は偉大でした。

さて、46サンチ砲、素晴らしい鏡があると色々夢が膨らみますね。楽しみです ^^b
Lambda さんの投稿…
M87JETさん、コメントありがとうございます!
そしてスミマセン、ペタペタとリンクを張ってしまいました。

私も気のおもむくままに生きておりますが、先人に励まされつつ匍匐前進しております。
ケニ屋 さんのコメント…
自分が望遠鏡を始めて持ったのは、まだ市販品が高級だった時代なので、やはり自作で10cm反経でした。川村幹夫さんのテキストを参考に、木材の切れ端を組み合わせて作ったものです。オーソドックスなデザインしか知らない者には、ドブソニアンのコンセプトは衝撃的でした。その後自分でも作ることになったのが30cmF5.3のスペックでした。今から20年くらい前のことです。せっかく作ったにもかかわらず、その重さと組み立ての面倒くささに手を持て余すようになり、私生活でも変化が訪れ次第に星の世界から遠ざかったのは返す返すも残念でした。今は自宅でできる範囲で観望していますが、ドブソニアンを作った頃の情熱を思い出し、懐かしい気持ちで拝読させていただきました。ありがとうございます。
Lambda さんの投稿…
ケニ屋さん、コメントありがとうございます!
川村幹夫氏のハンドブック、私も小学生の頃に紙背に徹するまで読みました。

ドブソニアンの大口径には、いまでも憧れます。
いくつかの星祭りで覗いたことがあって、やはり口径の威力は感じます。
このドブソン氏のコンセプトが、アマチュアに大口径時代をもたらしたよな、と思います。
昔は、30cmや40cmの望遠鏡なんて天文台にあるものという感覚でしたからね。

それに加えて、「作る情熱」「眺める情熱」みたいなものを、ドブソニアンは伝えてくれているように思えて、感謝するところです。
Miss Mises さんの投稿…
今回も非常に興味深い記事でした。しかし「ボクは写真が欲しかったら天文台から買う」といっても写真でないと美しい銀河を炙り出せないのではと思います。w
しかし、ドブソニアン望遠鏡は筒内気流が発生しないだろう点で興味深いです。電子観望の時代になって経緯台方式のドブソニアンはまた人気が出るのではないでしょうか。
Lambda さんの投稿…
Miss Misesさん、コメントありがとうございます!
写真は写真の面白さや美しさがありますし、写真でないと見えない世界は確かにありますね ^^;
眼視と写真とで違う角度の楽しみがあるのだと思います。

ドブソニアンが筒内気流に強い、というのはそうだと思います。元祖ドブソニアンには鏡筒がありますが、厚めの紙でしたので、表面が冷えても内側には伝わりにくく、意外とよく見えたんじゃないかと思います。
昨今のフレームタイプは、筒が無いのでますます良さそうですね。

ドブソニアンは、根強く残っていきますし、電子観望の時代でまた違う楽しみ方が出てきそうで、注目してます。