機材の変遷③ ミザール AR-150SL

 6cm屈折経緯台ネレイド型は良い望遠鏡に違いなかったのですが、やはり口径不足はいかんともし難く、2年後に再び父をねだり倒すことになりました。。
 さすがに赤道儀に載ったそれなりの口径の望遠鏡は値段も相応だったので、「もう誕生日とかクリスマスには何も要らないから今回の一発に集中させたい」と言ってみたわけです。父は無口でおっかない人でしたが本当に尊敬に値する度量のある男で、小学5年生の私に予算を与えて購入を委ねてくれたのでした。そこで予算の中で買える最大口径の望遠鏡だったミザールのAR-150SLを、当時東京電機大学の目の前にあった協栄産業に注文しました。よく考えると、当時小学生の私を、東京の外れの町田から一人で神田あたりに出掛けさせて大きい買い物をさせたりしたのも結構な度量が要ることだったと思います。
MIZAR 150SL optical tube
MIZAR 150SL
さて、この鏡筒は口径150mm焦点距離750mm、F5のニュートン式で、当時としてはかなり極端な短焦点鏡でした。100/120/130SLと共に、「RFT(リッチフィールドテレスコープ)」を銘打っていたと思います。斜鏡は45mmで、写真撮影にも対応していたのが売りの一つだったと思います。接眼部は一般的なラックピニオンでしたが、42mmP0.75の内径でそのままTマウントがつく仕様になっていて、ここはこの鏡筒の美点だったと思います。
 アイピースは憧れだったOr.6とK.25の二本。これに3枚玉バーローのETL-2が付属していました。この筒は鏡面精度λ/20仕様ではありませんでしたがけっこう良く見える鏡筒で、観望会でみかける高価な望遠鏡と比べても決して引けを取らない見え味でした。ちなみにこの筒は、就職とか結婚とかを経て、また幾度もの引っ越しも乗り越え、今なお健在です。
 赤道儀はミザールの名機、AR-1でした。赤経はウォームホイールが144枚の青銅製、赤緯はタンジェントスクリューの微動で、動きはすこぶるスムースでした。モーターはクォーツ式のMMD-QZで、誤差0.00001%(←桁は適当です)みたいなことが書いてあった気がします。
 当時はビクセンのスーパーポラリスと勝負していて、正直言ってスムースさやギヤのバックラッシュの少なさではARの勝ち、いわゆるピリオディックモーション的な精度はSPと同等でどちらもダメ、デザインはミザールが伝統的でビクセンは近代的な雰囲気という感じでした。ただ、モーターの取り付け方法だけはどう考えてもビクセンのパッケージングがエレガントで、MMD-QZは気を付けないと極軸の迎角クランプネジに干渉してへんこんだりする代物でした。CX-150やカイザー時代のシーザークランプを引きずり過ぎた取り付け方法がアダになっています。
 よく、ビクセンとミザールはマイコンスカイセンサー的なものが勝負を分けた、とかいうような言われ方をしますが、個人的にはマイコンなんかよりこのモーターのパッケージングが影響した面が大きいんじゃないかと思っています。ビクセンが8倍速とか2軸対応とやっているときに、ミザールが赤経の倍速と停止だけというのはいかにも見劣りしました。後のRV-85でも、無理してマイコンとかを頑張るのなんかより、普通に2軸モーターをうまくパッケージングしてくれればよかったのに結局マイコン以外はなぜかMMD-QZに固執することになっていたのは残念の極みです(当時はスカイセンサーがそこまで必須アイテムとして売れてたかというと、かなり疑問です。現在のオークションをみても、スカイセンサーより2軸モーターの出品の方が圧倒的に多いです。)。
 そのミザールのMMD-QZを開けてみると分かるのですが、中にはモーターの他に減速ギヤがギッシリ入っています。トルクの少ないモーターを減速比を稼いで使うという思想にも見えるのですが、これを見ると低回転でトルクが大きくなるというモーターの基本的性質をミザールは理解していなかった疑いが濃厚だなあと思います。電機屋のビクセンに対して、機械屋のミザールだったんだなあ、と。後にミザールはEXマウントや、RV85向けの自動導入マイコンなどを売り出しますが、こちらにしても、無理にモーターに頼ったビクセン風にしなくても良かったんじゃないかと、今さらながら思います。エンコーダを内蔵していたのですから、表示機だけにして目標天体の赤経・赤緯との偏差を表示させ、手動(粗動)導入だけできるという仕様でも面白かったのに、と、今でも思います(うろ覚えながらEXにはそんな奴があったかも?)。あるいはPECを発明して、当時のビクセンとうまい住み分けができていたら、勢力地図は変わっていたかもしれません。
 さて、この後、AR-1赤道儀はずいぶん使い倒しました。ガラクタ市で拾ってきたクーデシステムでガイド撮影にトライしたり、マルチプレートを付けてサブ鏡(中学生だったか高校生くらいの頃にはファミスコ60Sとか、初代BORGとかスペース10を所有してました)を載せたり、と、考えられるものは大体載せてみました。胎内星まつりにも、鏡筒は無理でもこの架台は持って行ったりしたものです(車ではなかったので))。
MIZAR RV-85 equatorial mount
RV-85赤道儀
さらにしばらくして、RV-85赤道儀をやはりガラクタ市で入手して、その後は長年それを使っていました。RV-85の美点は三脚架台で、三脚との取り付け面が鋳物そのままではなくしっかり切削加工が入っていて、揺れが少ない構造になっていました(これにビクセンのアルミ脚を組み合わせると、ワンタッチ風になってしかも頑健で、大変便利でした)。このRV-85は太い軸(確か56mmとか?)のおかげでAR-1より堅牢で、赤緯も全周微動になっていましたが、ギヤ精度の悪さはAR-1譲りで、ビクセンのSP-DXあたりと比較すると前時代の感が否めませんでした。

 さて、この150SL鏡筒は今も所有していますが、長きにわたり本当に色々なものを見せてくれました。短焦点鏡ながら惑星もよく見えましたし、星雲星団は明るいF5と相俟ってまさにRFTを体現していて感動的でした。
小学生か中学生の頃撮ったM42
AR-150SL, 半自動ガイド,
銀塩GX-3200, ATMフィルター使用
特に、ユニトロンのワイドスキャン13mmを入手して眺めたM42や二重星団は最高で、視野一杯に広がる星は素晴らしい眺めでした。天文趣味が下火になってからも、結婚してからでも、時折持ち出しては使い続けました。
 写真もいくつか撮ることができました。右は、小6か中1の頃に撮ったM42の写真です。まだ青色LEDが発明される前で、市街地でもアトムの光害カットフィルターでけっこうイけてました。この時のガイドは、AR-1にクーデシステムを使って手動修正でやったものです(当時は赤経モーターがついてるだけで自動追尾と言っていました。「手動ガイド」はモーター無しのハンドル操作での追尾を意味していました)。
 購入当時のハレー彗星から始まり、木星へのシューメーカ・レビー彗星の衝突痕、百武彗星火星大接近皆既月食金環日食と、印象に残る天文現象を拝ませてもらいました。
 今は稼働率が減って休んでもらっているこの鏡筒なのですが、いろいろ想い出があってオークションに出す気も起きずに持ち続けています。経緯台にでも載せて、写真撮影の間に空を楽しむのにいいなあ、、とか思って機会をうかがってます。
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