先人に想う③ - シャルル・メシエ

メシエ天体カタログで知られる「彗星の狩人、シャルル・メシエ」が、一体どんな望遠鏡をどう使って彗星捜索を行い、メシエカタログを作っていったのかというところに思いを馳せてみたいと思います。

シャルル・メシエによるM42のスケッチ
とても粗末な望遠鏡によるものとは言えません
(Wikiより,パブリックドメイン)
シャルル・メシエ(Charles Messier, 1730-1817)は江戸時代の天文家で、英国のウィリアム・ハーシェルより少し先輩のフランス人です。航海天文台の事務員として働きながら、回帰の予想があったハレー彗星の独立再発見を行うなどの彗星捜索家としての活動の中で、彗星と紛らわしい天体を記した有名なメシエ天体カタログを作り上げました。(M1かに星雲は、メシエが新彗星だ思って観測を行い、位置が変化しないことが確認された天体です)
 メシエについては、日本の幕府天文方や伊能忠敬らにも著書が伝わったフランスの同僚ジェローム・ラランドが、栄誉を称えて「監視者メシエ座」なる星座を設定したほど、当時の新天体発見の第一人者でした。(ラランドが設定した星座は現在では使われなくなりましたが、しぶんぎ座などがあります)

※当記事に記載の内容の一部は、過去記事「星雲星団の戦闘力」にも記載したものです。メシエカタログには、小望遠鏡や市街地では難しい対象も含まれています。

■ メシエの望遠鏡にまつわる都市伝説
 日本では、なぜか「メシエが使った望遠鏡は口径5~7cmの小さな望遠鏡」で「光学系が未熟な時代の粗末なものだった」という都市伝説が事実であるかのように吹聴されていました。しかしよくよく調べてみるとそんな記述は日本だけにある俗説で、事実とは異なるようです(情報収集が今のように容易でなかった頃に、推測混じりの口伝が広まってしまったのでしょう)。
 メシエ本人が投稿した1807年の論文(*1)には、使用していた11台の望遠鏡のリストが掲載されており、そこには15cmくらいの反射望遠鏡などもリストアップされています。
 吉田博士によれば、使われた望遠鏡の主力機にはドロンド謹製アクロマートの口径9cm F9.9やショート製15.2cmグレゴリー式反射があったようです(*2)。
 また、メシエ研究の大家Owen Jay Gingerich教授は、「19cmのグレゴリー式反射がメシエのお気に入りだった」と、Sky & Telescope誌への1950年代の投稿の中で述べていたとされています。ちなみに、Gingerich教授は M108と109をメシエカタログに掲載した人物です。

*1 (タイトル不明), the Connaissance des Tems, Charles Messier, 1807
*2 望遠鏡光学・反射編, 吉田正太郎,  1988

■ メシエの望遠鏡は小さかったか?
 メシエの望遠鏡リストの中には「焦点距離30フィート(9.1m)の屈折望遠鏡」などの記載もありますから、この9メートルもの筒を"小さな望遠鏡"と呼ぶのはだいぶ無理があろうかとは思います。15cmグレゴリー反射だってF60ですからけっこう立派なサイズ感のはずで、メシエはこんなのを10台以上見比べていたわけです。

 「メシエの望遠鏡が小さい」という話は、我々が思い浮かべる小望遠鏡のことではなくて、同時期に天体カタログを作っていた英国のW.ハーシェルとの比較の話で、あの屋根から突き出している巨大反射望遠鏡と比べれば小さい、という話ではなかったかと思われます。

■ 粗末で未熟な望遠鏡だった?
 そしてメシエが使った望遠鏡の光学技術が未熟で粗末であったりしたかというと、これもやや疑問です。確かに現代の物の方がアイピースも含めて良い精度で出来ていることに違いはないと思うのですが、スケッチを見る限りはそれほどまでに劣っいてたようには思われません。
 こちらも、同時代に望遠鏡製作自体を本業としてパラノイアのように精度を追及していたハーシェルのものと比較してしまうと性能が不足していたという話だったのではなかろうか、と思います。
メシエによるM31/32/110
のスケッチ
(wikiより,パブリックドメイン)
 ちなみにハーシェルの望遠鏡は、約2500もの星雲星団を発見してNGCカタログの基礎になるGC(ジェネラル・カタログ)の元データを作り、土星の自転周期を模様の動きから割り出したほどの性能でしたから、現代のそんじょそこいらのアマチュアより詳細なものを見ていた可能性は大です。

 メシエの望遠鏡は、たしかにこのハーシェル鏡には及ばなかったとは思いますが、金属鏡の時代とはいえ当時の著名メーカー製のものを何台もそろえていたわけで、メシエが残したスケッチを見る限り「小さく」て「未熟」で「粗末」な望遠鏡というのは当たらないように思えます。少なくとも、ガリレオやニュートンが使っていたような卓上のものを想像するのは間違いだと断言できます。

(時代的には、アクロマート屈折望遠鏡がドロンドによって既に発明され、ホイヘンスによるハイゲンス式接眼鏡があった時代です。また、ちょうどラムスデンが新しい接眼鏡を開発していた時期でもあります。日本でも同時代に国友一貫斎が反射望遠鏡を製作していますが、その現存しているミラーを測定するとλ/8ほどの鏡面精度の放物面であったとのことですから、軽々しくこの時代の先人を舐めてかかるのは早計というものです。
 更に付け加えると、時刻の計測についても、ガリレオ考案の振り子時計がホイヘンスによって具現化され、更に同ホイヘンスによるヒゲゼンマイの発明によって懐中時計も実用化された後でしたから、天体位置の測定もそれなりに良い精度で行えたはずと思われます。)

■ どんな世界を覗いていたのか?
 メシエカタログには、M41やM45のようなかなりまばらな散開星団や、M40のような二重星も「彗星と紛らわしい」として掲載されているのですから、こうした対象すら「モヤっと見えてしまう程度の性能の望遠鏡で覗いていたのかな?」と誤解してしまうのも致し方のないことかもしれません。

 しかし、メシエ自身によるスケッチ(M42やM31)を見ると、少なくともM45(スバル)や二重星が分解できないような性能では全くなかったと言えます。例えばM42のスケッチを見ると星雲の形状や濃淡を捉えた上でトラペジウムは完全に分離していますし、M43は別の天体として描かれています。M31のスケッチではM32やM110や周囲の恒星の位置関係も克明に記されています。
 更にメシエ自身の記述によれば、M40は「過去の観測で星雲があると報告されているが、ここにあるのは二重星」とあり、決して星雲星団と見間違えてカタログに載せたのではなく、二重星だと分かって掲載しているのです。

 これらの観察は街灯という概念もない時代の話ですから、さぞかし美しい姿が見えていたのだろうなあと想像するところです。メシエご本人の記述を見るとM31とM42の双方とも「beautiful nebula」で記述が始まっています。また「M57は木星より大きい円形」とか、「M51は二重の星雲」だとかの記述もあり、これが誰も真の姿知らない時代の観察だと思うと、我々が眺めている世界に近かったようにも思えます。

 そんな中で、わざわざ M45やM41のような散開星団や、M40のような二重星をカタログに載せたのはなぜだろうか?という疑問は湧きます。
 一説には、メシエカタログを「彗星と紛らわしい天体リストを超えて、全天の星雲星団を網羅するものにする」ことを意識したからだとも、「カタログ番号の末尾をキリ番にしたかったからだ」とも言われているようです。
 たしかに、M42とかM45とか、新たに発見したというノリではなかったような天体が 第2巻が始まるM40番台に集中しているような気もします。(M42自体の星雲としての発見はホイヘンスによって為されています)

 もう一つ、これは私の全くの妄想ではありますが、メシエが使っていた大きな望遠鏡は焦点距離が長すぎ、掃天には向かなかったのではないか、という面もあるかな、とも想像しています。15cmグレゴリー式反射望遠鏡はF60ということですから、詳細観測を行うには良いとしても、広視界を得るのは難儀したことだろうと思います。
 そう思ってメシエの望遠鏡リストを眺めると、7.6cm F4の短焦点屈折望遠鏡(単レンズ)があります。
 彗星捜索には、この単レンズ短焦点屈折望遠鏡で「アタリをつける」探索が行われていた可能性はあるかもな?というのが私の想像です。
 F4の単レンズですから、色収差をはじめ諸収差も甚だしく、分解能も高くはなかったものと思われます。そうなると、ちょっとまばらな散開星団や二重星も「恒星とは違う雰囲気のモノ」と見えていたことも想像されるところで、現にM41については星団であるとしながらもこの「7.6cm F4単レンズを使うと星雲状に見える」と記述されています。
 もし想像の通り、広視界での掃天にこうした短焦点単レンズ鏡を使ったのだとすると、既に知られている天体をもカタログに載せておく意義もあったかもしれないなあ、と思うのでした。

 こういうことを想像しながら、あるいはメシエ本人の記述を見ながら、メシエ天体を色々な機材で眺めてみるのもまた楽しいことだなあ、と再発見したのでありました。

(参考サイト)
The Messier Catalog (カタログ全天体についての Messierの記述英訳あり)
星ナビ.com「星職人」, 「シャルルメシエ(前編中編後編)」

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コメント

Lambda さんの投稿…
国友一貫斎の鏡について、Twitter にて hanger様より情報をお寄せいただきました。

国友鏡は、金属間化合物が多く析出することで酸化して曇るのを防ぐ組成だったようです。

大切な情報ですので、ここに残しておきます。https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/38/BNMNS_E38_01-08.pdf
HIROPON さんの投稿…
なんとなく気になったので、使用した望遠鏡が載っているというMessierの論文を探してしまいました。

" Quatrième recueil d'observations, de 1765 à 1769 "というタイトルで、こちらで全文が読めます(読めるとは言ってない。フランス語…orz)。

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6510286w/f395.image

古い文献でも簡単に探してアクセスできるというのは便利なものです。
Lambda さんの投稿…
HIROPONさん、貴重な情報、ありがとうございます!!

私が調べられたのは、英訳による二次情報まででした。

原文でニュアンスが読み取れると、ひょっとしたら翻訳とはまた違った情景が浮かんでくるのかもしれませんね。

しかし、、、語学が駄目な私には、仏語を解する教養がないのでありました(泣

それにしても、こうした一次情報に迫ることができる世の中には感謝です。