先人に想う⑥ - クライド・W・トンボー

かなり気合の入った望遠鏡自作派のクライド・ウィリアム・トンボー (Clyde William Tombaugh, 1906-1997)は冥王星を発見したことで有名なイケメン天文家でした。
「冥王星は、ローウェル天文台の青年助手トンボーが発見しました」などと紹介されることが多いのですが、トンボーはその表現から想像されるのよりもずっとガチな天文愛好家で、逝去の後も遺灰が探査機に乗って宇宙空間に葬られ、彼が発見した冥王星まで達したほどの筋金入りでした。

 クライド・トンボーの写真を検索してみると、様々な手作り長焦点反射望遠鏡と共に柔和な表情で写っているのですが、そこから伝わる宇宙への情熱にグッと熱いものを感じざるを得ません。

 どうも天文の世界というのは、「自作派」を惹きつけてそれを情熱につなげる何かが、ガリレオハーシェルの時代から脈々と引き継がれてきているようです。

今回は、冥王星の発見だけではない"20世紀のハーシェル"とでも言うべきトンボーの足取りを、彼が使った望遠鏡を軸に追いかけてみたいと思います。

■ 少年時代と望遠鏡の自作
クライド・トンボーと23.8cm F8.8反射望遠鏡
Clyde William Tombaugh
傑作の三号機の23.8cm F8.8 (1928)と

写真: Wikipediaより, public domain
 
農家の6人兄弟の長男として生まれたトンボーが星好きになったのは、叔父の影響だったようです。トンボーの叔父は3インチ(76mm)の望遠鏡を持っていて、これを借りて星を眺めるのがスタート地点でした。叔父は天文書も貸してくれて、それがガリレオやハーシェルやローウェルをトンボーの中の英雄にしていったようです。その後、トンボーが14歳の頃にこの父と叔父から57mmの望遠鏡も買ってもらい、そこからトンボーは天文の世界にのめり込んでいきました*1)
 18歳の時に、農業が不作だったことによる経済的な理由で進学できなかったトンボーはPopular Astronomy誌の購読を開始して、彼の情熱はよりパワフルな自作望遠鏡の世界に惹き込ませ、20歳の時に最初の望遠鏡を製作します。
 トンボーが自作した最初の望遠鏡は、口径20cmの反射望遠鏡でした。自作の鏡とパイン材の鏡筒、古い農機具の部品で作った架台であったようですが、この初号機は像が酷い失敗作だったと語っていた*2)ようです。

 自作派としていきなり20cmの反射望遠鏡に挑むのもなかなかですが、それが失敗作であったことにめげずに万全の対策を実行したところがクライド・トンボーその人たるゆえんです。
 彼は「温度変化の少ない検査室が必要」だとして長さ7.3m、幅2.7mのけっこうな広さの穴を深さ2.1mほど掘り、コンクリートの壁と天井を作って鏡の検査室を作ったのでした(父親には台風用のシェルターだと説明して作ったようです)。この検査室によって鏡の精度は向上し、口径7インチ(18cm)の2号機は良い像を結び、叔父がこれを買い取りました。

 トンボーはそのお金を22.8cm F8.8の3号機につぎ込みました。完成させた3号機は「出色の出来だった」ご子息らが語っています*2)。この3号機こそが写真でも伝わっている1928年の望遠鏡で、側面には「8 INCH AP」「NEWTONEAN TELESCOPE 79INCH FOCUS」と書かれています(晩年の映像やご子息のインタビューでは9インチと語られています。)。
 この望遠鏡の架台には 1910年製BUICK(自動車)のクランクシャフトや古いミルクの分離機の部品が用いられたとのことです。トンボーご本人の映像の中でも登場し(1990年代にも現存!)、水色に塗られた鏡筒と赤い赤道儀が印象的です。

■ 惑星スケッチとローウェル天文台
 トンボーは自作した22.8cmの3号機による火星と木星のスケッチをローウェル天文台に送るのですが、その目的は望遠鏡の製作依頼が来ることを期待しての売り込みでした。
 当時は探査機による画像も素晴らしい天体写真も無い時代ですから、そのスケッチが真実かどうかは大望遠鏡を覗いている人ならジャッジできるというわけです。

 トンボーが天体観測を始めた当時は、パーシバル・ローウェルが「火星の模様は知的生命体による運河である」ということを発表した少し後の時代でした。ローウェル自身は火星観測のために私設の「ローウェル天文台」を作って観測していました。
 火星の「運河」はその後の探査機によって完全に否定されましたが、南北極冠の変化から水の存在を推定して水路を連想したローウェルも、間違いだったとはいえなかなか大したものだったと思います。(私自身も、自分の望遠鏡で「運河らしきもの」はどう見えるのか、火星接近の折には確かめてみたいと思います。)

 トンボーが天文台にスケッチを送った頃には既にローウェルは故人となっていましたが、トンボーのスケッチを見た天文台長スライファーは望遠鏡を注文するのではなく、トンボーをスタッフとして雇い入れたのでした。
 ローウェルの最大の功績は「惑星X(冥王星)の位置を予測したこと」、とされていますが、私は私設天文台に先祖代々の財力を注ぎ込んでトンボーのような大傑人を呼び込んだことこそがローウェルの最大の功績ではなかったかと思います。

■ 惑星Xの探索と発見
 この当時、天文界での話題の一つは「惑星X」、すなわち海王星の更に外側にある惑星でした。ローウェルはその最晩年にこの惑星Xの位置を計算・予測して、その捜索を行っている中で逝去したのでした。
 しかし、そこで捜索作業を行っていた助手の能力よりも惑星Xは暗く微かで、発見には至りませんでした。

The Pluto discovery telescope, 32.5cm F5.1
冥王星を発見した 32.5cm F5.1
屈折式アストログラフ
(Credit: Packbj via Wikimedia,
 Licensed as Creative Commons Share-Alike)
 
使用された望遠鏡はアルヴァン・クラーク製の口径32.5cm F5.1の三枚玉屈折式アストログラフで、イギリス式赤道儀に載せられて17×14インチの写真乾板が装着されていました*3)。乾板は感光材が塗られたガラス板で、かなりのサイズ感の物体です。焦点距離は1690mmありますが、やたら大きいイメージサークルで写野は 15×12° (!)もあった*3)ようです。
 この望遠鏡は、パーシバル・ローウェルの弟でハーバード大の総長をやっていたアボット・L・ローウェルの1万ドルの寄付によって製作されました。日本では公務員の初任給が1円に満たない貨幣価値の時代の話です。
 ちなみにクラーク社は当時の米国の名門屈折望遠鏡屋で、ヤーキス天文台の世界最大の101センチ屈折望遠鏡もクラーク製です。同社内で47cmのレンズをテストした際にシリウスの伴星が発見されているのですから、クラーク社製品の性能が確かなものだったことが伺えます。

 トンボーは、得られた像に満足せず、撮影機材の改良に打ち込みます。大きく重たい写真乾板の微妙な変形が星像を悪化させる原因だということを突き止め*2)*4)、これを修正して十分にシャープな像を得ることに成功しています。

トンボーによる冥王星発見時の写真
冥王星が発見された時の写真。なかなかシャープです。
写真は全画角のうち30'角四方の拡大で、RMSで約6"角以下程度でのガイドはできていたようです。
[写真をプレートソルブして確認]しました] (Copyright: Lowell Observatory, 使用許諾取得済)
 
撮影には概ね1~3時間の一発露光が必要*1*4)だったようです。オートガイドはおろか正確に回るモーターがあったかどうかすら怪しい時代に1690mmの焦点距離で3時間手動ガイドで15等星の惑星Xを点像で写すわけですから、とんでもない超人芸が必要だったことは間違いありません。
 ですから、発見できなかった前任者を責めてはいけません。掃天には相当な枚数(数百枚か?)が必要だったことも加味すると、常人にとっては無理ゲーすぎます。少なくとも私がやったのでは、たとえ冥王星の位置が分かっていたとしても無理な気がします。

冥王星発見に使われたZeiss製ブリンクコンパレータ
(Credit: by nivium via Wikimedia, licensed as Creative Commons Generic)
 
この望遠鏡を使って撮影された乾板は、Zeiss製のブリンクコンパレータによって別の日に撮影された像と比較されました。ブリンクコンパレータは、2枚の乾板を固定して位置合わせを行い、乾板上の位置を微動装置で走査しながら左右2枚の乾板による像を切り替えて比較する装置です。
 冥王星の発見は、このブリンクコンパレータによって為されたのでした。1930年の2月18日、トンボーの就職からおよそ1年1ヵ月後のことです。
 この発見には、「ローウェルの計算が間違いだったのに、たまたま計算の場所付近に冥王星がいた」といった幸運が作用していたことは確かですが、12°もの広大な写野の最新鋭アストログラフとブリンクコンパレータ、そしてトンボーの超人技をもってすれば、運とは関係なく冥王星は捉えられていただろうと思います。
 ちなみに、トンボーは外惑星が逆行を迎えて移動速度が速くなる太陽と反対側の位置を狙い撃ちし、またその移動速度から惑星までの距離を概算できるようにして網を張っており、その観点からも、惑星Xはやがてトンボーに見つけられる運命にあったと言えます。

 トンボーはこの惑星Xに「Pluto」と命名しますが、そこには Percival Lowellへのリスペクトを込めてそのイニシャル P.L. が込められたとも言われ、また冥王星発見の発表もローウェルの誕生日(ハーシェルによる天王星発見の日と同じ3月13日)に行われています*5)

■ 作った望遠鏡たちと晩年
 冥王星発見後も精力的な活動をつづけたトンボーは、数百の変光星、2個の彗星、800個もの小惑星、29,000もの銀河を発見しており、その業績には目を見張るものがあります。
トンボーの46cm F10反射望遠鏡
トンボーの 46cm F10 反射望遠鏡
(Photo Credit: Network Defend ,
licensed as a Creative Commons Non-commercial)
 
ローウェル天文台が経済難となった後も、ニューメキシコの軍施設で光学系の設計に取り組み、彼が設計したロケット・ミサイルの軌道観測用光学系IGORはその後30年にわたって使用されたとのことです。

このほかにも数多くの望遠鏡をトンボーは製作しているようで、冒頭でも述べた通り検索すると様々な望遠鏡と一緒に写ったトンボーの写真を見ることが出来ます。あの、22.8cm F8.8の3号機と一緒に写った90歳のトンボーの姿もあります。
 ご健在の頃の晩年の映像には、鉄塔のような46cm F10反射望遠鏡を操作する姿が写っていて、ドでかい鏡筒を載せた赤経軸がスルスルとスムースに動く様子にはゾクっときます。
 彼の作った望遠鏡のスペックを見ると、どうも 長焦点にこだわりがあるようで、46cm鏡も別の鏡で光路を折りたたんでまでF10にしているようです。また、防錆塗料のためなのか架台が赤いのもトンボーの望遠鏡のトレードマーク的になっていたように思われます。

その映像の中でトンボーが語る「私はほとんどの観測を、写真じゃなくて眼視でやるんだよ」というセリフは、あの凄い冥王星の写真を撮った達人が発するとまた重みを感じるのでありました。
 宇宙を眺めることを愛してやまなかったトンボーが、ニュー・ホライズンズ探査機に乗り込んで眺めた冥王星のハートマークの姿も、我々が見る探査機の写真よりも素晴らしいものだったに違いないと思うのでありました。

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______________
*1  Kevin Schindler (Lowell Observatory), "Young Clyde Tombaugh: How a Midwestern farmboy set a course for Pluto", 2015
*2 Johns Hopkins, "Video: Reflections on Clyde Tombaugh (NASA)", 2015
*3 Lowell Observatory, "Restore The Pluto Telescope"
*4 Amir Alexander (The Planetary Society), "The Discovery of a Planet, Part 4: Clyde's Search", 2015
*5 Wikipedia, "クライド・トンボー"

コメント

M87JET さんのコメント…
おはようございます
とても面白いです。動画、何度も見ました。
探査機に付けた遺灰シリンダーの碑文に、父母(お父さんのお名前(MURON)は、綴りがタカハシのMEWLONとは違いますけど、ミューロンさんと読むんでしょうかね?)や奥様、お子さんのお名前があって、感じ入ってしまいました。米国の冥王星発見の誇りも感じました。
ご本人の早口のカンザス訛り?みたいなお声や自作望遠鏡には、アメリカの旧き良き時代も感じました。
娘さん等のインタビュ動画の草刈機にのった反射には微笑んでしましました。
小生の聞き取りが悪いんでしょうけど、「ご健在の頃の晩年の映像」の冒頭、「9インチ反射」と言っているように思えました。間違ってたらごめんなさい。
Lambda さんの投稿…
おはようございます! そしてご指摘ありがとうございます。

ホントだ!いきなり9インチと言ってますね。私は一体なにをどう聞き違えたんだろう…。色々見ていた映像のなかで違う誰かが初号機について言っていたのを本人の映像の中の話と思い込んでしまったのかもしれません。。

本文を訂正いたしました。

トンボ―は、探査機に乗ったこともあって、「語り」や資料がWebに載っているのが幸いしています。子供の頃、トンボ―は「歴史上の人物」だったのですが、割と最近までご健在だったというのも、ちょっと驚きでした。

そして映像に出てきた grazer-gazer ですね。"簡単に移動できる"とは言ってもドでかい感じがアメリカンで、草刈り機と一体と言うのも面白いです(エンジンがかかるのでしょうね、きっと)。私もあんな風に格納小屋をつくって無精してみたいです^_^。
(父はマローンさんではないかな? と思います。)

※ご指摘、重ねて御礼申し上げます!
ケニ屋 さんのコメント…
初めまして。いつも拝読させていただいています。Lambdaさんの「先人に想う」は、その昔天文と気象に連載されていた「おはなし天文学」を彷彿とさせます。トンボーが20世紀のハーシェルなら、Lambdaさんは「21世紀の斉田博先生」と勝手に思っています。自分も若いころはガチの観測者でしたが生活環境が変わるにつれ、いつしか星の世界から離れていましたが、皆さんのブログなどに刺激され、20年ぶりぐらいに天文熱が再発しています。これからもよろしくお願いします。
(名前の後の「()」ですが、消えなかったのでそのまま気にしないでください(笑)。)
Lambda さんの投稿…
ケニ屋さん、初めまして! コメントありがとうございます。

「おはなし天文学」の斉田博先生、恥ずかしながらこれまで認識できておりませんでした。
斉田先生はちょうど私が星に興味をもつきっかけとなった月食の直前に亡くなられてしまって、そのために私が意識できていなかったようです。
(著書は書店で見かけておりました)

さて、「先人に想う」シリーズは、いろいろ書き進めるにつれて、世間的に(特に日本で)言われていることと実際との間にはけっこう差があるなあ、ということが私自身にとっても興味深く感じられています。
子供の頃に読んだ表面的な記述と、今になって想像できる先人達の活動とのギャップはけっこう大きいなあという感想です。
また「昔=機材が劣る」という先入観があるのですが、現代の機材で彼らの発見を追いかけてみても簡単には観察できない、という気付きも、この趣味の奥行きを感じさせてくれるところかな、と思い始めております。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。