2025年11月、土星の環の「準・消失」と分解能

2025年は「土星の環の消失の年」ということで、土星の環の面の地球に対する開口角0°をまたぐ「環の消失」が起きた年、ということで、遅ればせながら記事にしてみました(後述の環の開口角計算に時間を要してしまいました)。
 土星の環の純粋な消失には2種類あって、一つは環が太陽に対して水平になって「光が当たらなくなる」消失で、もう一つは環が地球に対して水平を向いて「環の厚みが薄くて見えなくなる」消失です。前者は5月10日、後者は3月24日に起きましたが、いずれも低空で条件が悪いものでした。
 今回 11月24日に起きたのは「準消失」とでも言うべきもので、環が再び地球に対して水平に近づいて「環が薄く」なったというものです。この時の地球から見た角度(開口角)は、0.37°になるということで、「見えにくくなる」との前評判でした。

 そう言われると確認したくなるのが人間のサガというもので、かくいう Lambda も眺めてみたのでした。結論から申し上げると、「ガッツリ見えた」というのが今回の「土星の環の準消失」でありました。

2025.11.24 19:39JST頃の土星(準消失, 開口角0.37°)
20cm/F5 newtonian, 4x Powermate, MARS-CII(IMX662)

 今回は「見えていた」環の細さと、分解能との関係や、かつてのホイヘンスによる1656年の「消失」の観測との関係について、少し書いてみたいと思います。

■今回の環の「細さ」と分解能
 2025年11月24日の土星の環の面の開口角は0.37°ということで、これが投影された厚さをベースにして地球から見た視角を計算してみると右図のように概ね 0.15~0.2秒角となり、およそカシニの空隙と同じくらいの幅にまで細くなっていたことが分かります。

環の長径に対する厚さの視角
 この厚さは、口径20cm程度の望遠鏡の"分解能"の数値の約半分以下という細さです。
 しかし眼視では、「細いけどしっかり見える環」がそこにはあり、7.6cmファインダー(50倍)でもしっかり見えていましたし、5cm程度の望遠鏡でも「十分見えていた」という声がSNSでも殆どで、「見えなくなった」という報は一つも見ることがありませんでした。

 このように、分解能の「数値」は、ある定義を定めた指標なのであって、見える見えないを分ける指標ではないということです。
 このことは、エンケの隙間が25cmの望遠鏡で発見されたことと同じ話です。口径25cmの望遠鏡の分解能が0.46秒角程度であるのに対して エンケの隙間は0.05秒角ほどですが、それで発見されたのです。

 「環の影が黒く落ちた本体に、細い環がついている」という串刺し団子のような土星の姿もなかなかオツなものです。一方で、「若干、環の長径が短いかな」とも感じたりしました。
 このことは写真からも投影された厚さの視角の変化からも、良く分かります。いわゆるA環のゾーンになると環の視角は急激に細くなり、写真の上でも光量が減って視認しづらくなっています。長径が短く感じられたのは、気のせいではなかったようです。

 分解能の低さは、見かけ上は集光の弱さとして見えるわけで、ひょっとしたら今回の環の「準消失」では口径によって環の長径の見え方に違いが見えていたのかもしれません。

■ホイヘンスが見た環の消失のナゾ
 環の消失はガリレオも観察していますし、環を見破ったホイヘンスに至っては克明なスケッチを残しています。ホイヘンスの著述 SYSTEMA SATURNIUM に掲載されたスケッチには本体に落ちた環の影がわずかに中心軸とは異なる位置に描かれており、57mmの単レンズ望遠鏡で観察されたリアルな姿には驚嘆します。
ホイヘンスによるスケッチ
(SYSTEMA SATURNIUM)

 さて、このスケッチが描かれた日付は、1656年1月16日(ユリウス暦と思われる)と記されています。これは現代のグレゴリオ暦にすると1月26日で、地球から見た土星の環の開口角をNASA JPLのDE440惑星位置データを使って計算させてみたところ、1.5°ほど(!)でした。
 これは2025年の準消失(0.37°)と比較すると比較にならないくらい大きい開口角で、普通に考えるとホイヘンス自慢の57mm/F59の望遠鏡で見えなかった筈がないようにも思えます

 1656年前後の「環の消失」は、4回起きています。地球に対する開口角がゼロになるのは 1655年10月20日、1656年3月10日、1656年7月16日の3回でした。
 一方で、1656年2月20日は土星の環が太陽に対して0°となる日で、この前後は環が大変暗くなっていたことは間違いありません。今年2025年の1月頃にも、環が大変暗い(眼視でも明らかに暗かった)状態の土星が観察されており、太陽に対する開口が0°でなくても土星の環の光度低下によって視認しにくくなることが確認されています。

つまり、ホイヘンスが捉えた土星の環の消失(1月26日)は、開口角の狭まりと光度の減少の双方の効果で「消失した」と記録したものと考えられます。

環が暗くなった土星
 (2025.1.5, 開口角 4.0°)

 この頃のホイヘンスは、土星の環の傾きと衛星の軌道面の一致を既に観察しており、土星の「耳」が環なのだと完全に見切っていました。その上で、ガリレオ他の学者が「なくなった」とした環の厚さや不可視となるタイミングを、自慢の望遠鏡で確認しようとしていたに違いありません。
 ちなみに、1655年10月の土星は明け方午前4時頃であり、ホイヘンスも見逃していたものと思われます。彼が捉えたのは、23時頃からの観測が可能な年明け1月以降の環の推移であったようです。
 さしもの天才ホイヘンスも、いつも徹夜モードでばかり観測していたわけではなく、人間であったようです。

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 今回のような天文現象の観察は、なかなか興味深い考察ネタを与えてくれるものだな、と改めて思ったのでありました。

(※1656年2月20日が地球に対する開口角0°だと思い込んで、計算やりなおしに時間を費やしてしまいました…。)

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